2022年10月19日
焼却炉があった
今から30~40年前、学校には焼却炉があって
教室のゴミや授業で出たゴミを
掃除の時間にガンガンと燃やしていた。

ゴミが多い週末やテスト期間などは
誰もいない放課後になっても延々と煙が出ていた。
ビニールだろうが生ごみだろうがお構いなしで燃やしていたので
焼却炉から出る煙を浴びると喉や目が痛くなったものだ。
ひどい時だと耳まで痛くなったので
そうとう危険な物質をまき散らしていたに違いない。
そんな汚くて危ない焼却炉で、先生にバレぬよう
給食で残ったミカンを焼いたり
どこかから持ってきた芋を焼いたりして
こっそりと食べることもあった。
気分は石窯職人だが、ピザやパンを焼いたことはなかった。
たぶん
皮やホイルで包んでなきゃ汚い
という考えが、アタマのどこかにあったのだと思う。
1990年代後半からダイオキシンについてうるさく言われるようになり
2000年に入ると学校を含む公共施設から完全に焼却炉が消えた。
同時に、家庭でゴミを燃やす姿も日本から消えた。
環境に、身体に、いま世界は「やさしい」方向へと動いている。
昭和の時代の大人はあれほどみんな吸っていたタバコも
最近では「悪」のイメージが定着、全く見かけなくなった。
20年前の常識は今の非常識
20年後には
「えっ、昔はコンビニでビニール袋に入れてたの?」
なんて言われるようになるのかもしれない。
教室のゴミや授業で出たゴミを
掃除の時間にガンガンと燃やしていた。

ゴミが多い週末やテスト期間などは
誰もいない放課後になっても延々と煙が出ていた。
ビニールだろうが生ごみだろうがお構いなしで燃やしていたので
焼却炉から出る煙を浴びると喉や目が痛くなったものだ。
ひどい時だと耳まで痛くなったので
そうとう危険な物質をまき散らしていたに違いない。
そんな汚くて危ない焼却炉で、先生にバレぬよう
給食で残ったミカンを焼いたり
どこかから持ってきた芋を焼いたりして
こっそりと食べることもあった。
気分は石窯職人だが、ピザやパンを焼いたことはなかった。
たぶん
皮やホイルで包んでなきゃ汚い
という考えが、アタマのどこかにあったのだと思う。
1990年代後半からダイオキシンについてうるさく言われるようになり
2000年に入ると学校を含む公共施設から完全に焼却炉が消えた。
同時に、家庭でゴミを燃やす姿も日本から消えた。
環境に、身体に、いま世界は「やさしい」方向へと動いている。
昭和の時代の大人はあれほどみんな吸っていたタバコも
最近では「悪」のイメージが定着、全く見かけなくなった。
20年前の常識は今の非常識
20年後には
「えっ、昔はコンビニでビニール袋に入れてたの?」
なんて言われるようになるのかもしれない。